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3・11 時のイコン。
先日、渋谷にある松濤美術館へ行って来た。美術館なんぞまるでご縁がない俺ですが、お誘い頂いて何となく行ってみるかと。気分転換も兼ねてね。

観て来たのは、六田知弘写真展「3・11 時のイコン」

あの震災の後、写真家の六田氏という方がガレキの中で見つけた「モノ」にフォーカスして撮り続けられた写真の中から厳選されたものの写真展。
観ていてなんというか、不思議な感覚に見舞われた。
写真に映し出された「モノ」は震災前は確かに「モノ」として存在していただろうに、そこに写るのは「モノ」としての価値や存在を失った、ただの「無機物」だった。震災前は誰かが使っていただろうとかどんな風だったろうとか、なんとなく想像はつくのだが、震災の悲惨さや悲しみ、そういった事を写真に写ったその「モノ」達が訴えてこない気がした。時間も、存在も、主張も全てを喪失しているように感じた。どう説明していいのか解らないんだけどね。
砂まみれの子供の運動靴から雑草が生えている写真を観て不思議な気持ちになった。無機物から有機物が生まれる様、無から有へ。喪失と再生。
「モノ」は存在意義や必要性があるからこそ「モノ」として存在する訳で、意義や意味を失ったら「モノ」では無くなるのかな、なんて思った。観に行って良かったような気がする。
だからと言って俺の何かが変わった訳でもなく、ただ毎日はやって来て過ぎて行くし「モノ」に執着する俺の癖は何も変わらないのだが。
興味のある方は観に行ってみるといいよ。
入場料は無料で2/2までだそうです。
六田知弘写真展「3・11 時のイコン」

観て来たのは、六田知弘写真展「3・11 時のイコン」

あの震災の後、写真家の六田氏という方がガレキの中で見つけた「モノ」にフォーカスして撮り続けられた写真の中から厳選されたものの写真展。
観ていてなんというか、不思議な感覚に見舞われた。
写真に映し出された「モノ」は震災前は確かに「モノ」として存在していただろうに、そこに写るのは「モノ」としての価値や存在を失った、ただの「無機物」だった。震災前は誰かが使っていただろうとかどんな風だったろうとか、なんとなく想像はつくのだが、震災の悲惨さや悲しみ、そういった事を写真に写ったその「モノ」達が訴えてこない気がした。時間も、存在も、主張も全てを喪失しているように感じた。どう説明していいのか解らないんだけどね。
砂まみれの子供の運動靴から雑草が生えている写真を観て不思議な気持ちになった。無機物から有機物が生まれる様、無から有へ。喪失と再生。
「モノ」は存在意義や必要性があるからこそ「モノ」として存在する訳で、意義や意味を失ったら「モノ」では無くなるのかな、なんて思った。観に行って良かったような気がする。
だからと言って俺の何かが変わった訳でもなく、ただ毎日はやって来て過ぎて行くし「モノ」に執着する俺の癖は何も変わらないのだが。
興味のある方は観に行ってみるといいよ。
入場料は無料で2/2までだそうです。
六田知弘写真展「3・11 時のイコン」
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Posted on 2014/01/27 Mon. 19:42 [edit]
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